ブログの移転
このブログのすべてを「bunbunの日記」に移動しました。
これからは、ここに書いていたことは「bunbunの日記」に書きます。
このブログはしばらくこのままにしておいて、先で削除しようと思っています。
日々是好日的な
4月22日(木)
クラブ。
誰も来なくても、それが自分の中で普通のことになっている。
4月25日(日)
郡内4チームによるバスケ大会。
地元の若いチームに懐かしい顔があった。
声を掛けると、向こうも気がついていたみたいで、2人で少しの時間、当時のクラブのことや今の現状などを話す。
「・・・ということで誰も来ないんだけど、それでもポスター作ってこの体育館にも貼ってもらったんだよ。クラブのウェブサイトもあって、ポスターにそのQRコードもあるよ」
(過去の参加者を確認すると、1年前に高校を卒業して地元で働いているという彼がクラブに来ていたのは、中3の秋の頃から高校に入学するまでの間だった)
4月29日(木)
クラブ。
体育館に着いて車から降りると「久しぶりです」の声。
その腕には小さな女の子。
クラブを始めた頃には小学生だった彼女は母親になっている。
「まだ、やってるんですね」
「最近はずっと高校生ばかりが来てたけど、その高校生も今年になって誰も来なくなってね」
「そうですか。私も宣伝しときます。妹にも行けって言っときます」
散歩中の彼女と別れて、体育館に入る。
誰も来ないのは通常通り。
5月6日(木)
朝、公民館へ体育館の鍵を受け取りに行くと、「コーヒーどうですか?忙しいですか?」と公民館職員のKさんが言う。事務室の来客用テーブルには近所のMさんがいる。
「じゃあ、せっかくのお誘いだから」
「そうですよ。滅多にありませんよ」
公民館の近所のMさんとコーヒーを飲みながら話をする。
「まあ、道楽みたいなもんだから」
家業をほとんど息子に譲ったMさんが、地域活動に熱心に取り組んでいることはよく知っていた。
それは公民館を拠点とする組織的な活動ではあるが、Mさんはその役目の中に小さく収まるのではなく、その枠を超えて思う存分に行動している。(そう見える)
数十人が参加したという、先日に行われた公園を清掃する活動の募集チラシもMさんが作ったとのことで、そのチラシひとつをとってもMさんの意気込みが感じられる。
今やっていること、これからやろうとしていること・・・Mさんの話を聞くのは初めてではないけど、今回は何故だか妙に感服した。
Mさんとの話を終えて、帰りがけに公民館職員のKさんに言う。
「クラブのウェブサイト見た?」
「それ、なんですか?なんで検索するんですか?」
「Mくん(公民館主事、この日は不在)がポスターにQRコードを付け加えてくれたんだけど、スマホ持ってないんで、QRコードってどう使うのかやってみてよ」
・・・
夕方からクラブ。来週までテスト期間なので高校生が来ることはない。
いつものように30分ほど1人で練習して、公民館の返却ボックスに鍵を返しに行くと、公民館の前庭に勤務を終えた職員のKさんがいた。
「今日は誰か来るといいですね」
「いつものように30分ほどいて、誰も来ないんで帰るところなんだよ」
「そうですか」
「なんだかね、このクラブって誰も来なくても、開いていること自体に意味があるような気がしててね。いつ誰が来てもいいように。まあ、田舎だからこんな状況でも続けさせてもらえるのだけど、13年続けてるってこともあるしね。始めたばかりでこんなだと何やってるんだって思われるだけだからね。でも、このままでいつまでも続ける訳にはいかないけどね」
・・・
公民館の玄関に貼られたポスターのQRコードを読み取って表示されたクラブのウェブサイト(「いわみbunbunサイト」)を、いつもの自分のパソコンではなく、公民館職員のKさんのスマホの画面で見たときに、さらに言えば、自分の説明とともにウェブサイトを見ているKさんが「いろいろと充実してるんですね」と言ったときだったようにも思うのだけど、一瞬、スマホの画面を通して手応えのある何かを感じるようだった。
この13年間で、クラブ開催が600回、延べ参加人数は7000人。
2009年にブログを始めてからは毎回欠かさずにクラブの様子を書いてきたし、今回クラブ専用としてまとまったウェブサイトもこれまでに作り続けた様々な媒体や、記録し続けたことが元になっている。
Mさんの地域活動のような大きなことはできないけど、自分なりのことはやっている。
・・・
「まあ、こんな状況でも結構いろいろと面白いよ」
そう公民館職員のKさんに言ってから、返却ボックスへ向かった。
動き
4月15日(木) 誰も来ない。
でも動きはある。
高校の寮にクラブB&Jのポスターを貼ってもらえるかもしれない。
この2月に体育館を管理する公民館主事にクラブの現状を伝えたとき、職務として自分ができることを考えてみると主事は言ったのだけど、それが実行された。
主事からその話を聞き、まずは自分のウェブサイト(ホームページ)である「いわみbubunサイト」の改変作業を始めた。
これまで雑多でまとまりのなかったものを、クラブだけのサイトに変えた。
それから、久しぶりにクラブのポスターを作った。
高校の寮にポスターが貼られることになるかは、まだわからない。
(追記)
主事はポスターを見て、「これって、寮だけでなく高校にも貼れないかなあ」とも言っていた。
それから、ポスターの『 詳しくは ⇒ 「いわみbunbunサイト」(開催カレンダーもあります)』を見て、「この横にQRコードつけといた方がいいですよ。ここに載せられるかやってみますね」と言い、きれいに載せてくれた。
14年目の始まり(かもしれない)
4月1日(木)
クラブB&J。
これで3ヶ月、先月の1回を除いて誰も来ない。
それでも、今日は誰も来なくてよかった。
自分自身として、越えておくことがあるから。
それを越えた後に、これからのことを考えようと思っているから。
4月3日(土)
50代最後の週末のバスケ。
土曜のミニバス教室に息子と通い始めたとき、息子は小5で自分は43歳だった。
あれから17年。
小学生がバスケの基礎練習をするそのミニバス教室は、次第に変化して今では土曜や日曜に小学生から大人までの世代が自由に集まってバスケをする場になっている。
この日だったか、その1週間前の日だったか記憶は定かでないのだけど、週末のバスケで数年来の付き合いとなる中3の男の子と話をした。
「総体って何月だったけ?」
「6月です」
「部活、引退したら木曜のクラブ(B&J)に来る?」
「そうですね。行くかもしれません」
4月4日(日)
60代最初の週末のバスケ。
当時、息子が所属していたミニバスのスポーツクラブに通い始めたのも、ミニバス教室と同じ17年前のことだった。
保護者にも指導のお手伝いをお願いしたいということで誘われたのだけど、中学生のときに多少の経験があるだけで、バスケの指導なんてとてもできないと思いながら体育館へ行った。
体育館には、入部したばかりの小2と小3の子供たちが片隅に集まっていた。
それを見て、自分の行くところはあの場所だと思った。
それから小2と小3の指導を担当する4年間を経て、スポーツクラブを辞め、クラブB&Jを始めた。誰もが安心して行動できる場所をつくりたかった。
週末のバスケでは、新顔の中学生の息子と一緒に来ていたある父親と話しをする。
バスケの試合に加わらず、親子2人でいたので声をかけてみた。
クラブB&Jのことを話したら、そのような場所を必要としているようであった。
4月8日(木)
クラブB&J。
体育館が使えないのでクラブは休み。
朝の犬の散歩でのこと。
散歩のコースはいくつかあって、その一つを歩いていたら、ある家から学生服姿の男の子が出てきて、自分たち(人と犬)の前を歩き始めた。
「おはよう」
見向きもしないので急ぎ足で近づいてみる。
「○○くん」
こちらに気がついてイヤホンをとる。
「あ、おはようございます」
「また来ない?って電話しようと思ってたんだけどね。年が変わってから誰も来なくてね。まだクラブやってるけど、来る?」
「行けるときには行きます」
「○○くん、部活やってるんだっけ?」
「いえ、やってません」
「もうじき3年生も部活引退するしね。よかったら、誘い合って来んさい」
「はい、ありがとうございます」
・・・
誕生日を迎えてからクラブの今後のことを考えようと思っていた。
節目なので終わりもありかとも思っていた。
今は、需要があれば続けようと思っている。
需要をつくることもして行こうとも思っている。
14年目のクラブが始まるのかもしれない。
クラブ
2週間ほど前にMくんから電話があった。
「3月4日ってクラブやってますか? 仕事、休みとって早く行けるけど5時半からじゃだめですか?」
「いいよ。行けるのは5時半ちょうどになるかもしれないけど・・・」
今から5年前、クラブを始めて9年目のときに、高校1年のMくんたちがクラブに来るようになった。高校生の複数人での参加はこの学年が初めてで、Mくんたちの1級下の学年も上級生に誘われるようにして何人も来るようになって、その反面、小中学生の参加はなくなってやがては高校生だけのクラブになったのだけど、その高校生の参加もMくんたちの1級下の学年を最後にぐんと減っている。
【1回あたりの平均参加者数】
2014(07年目):小11 中2.0 高1.0
2015(08年目):小4.0 中5.0 高1.0
2016(09年目):小3.0 中6.0 高4.0 (高1:4.0 高2:0.0 高3:0.1)
2017(10年目):小1.0 中3.0 高4.0 (高1:1.0 高2:4.0 高3:0.1)
2018(11年目):小0.1 中0.1 高8.0 (高1:0.5 高2:3.0 高3:4.0)
2019(12年目):小0.1 中0.1 高7.0 (高1:0.5 高2:1.5 高3:5.0 )
2020(13年目):小0.1 中0.1 高5.0 (高1:0.2 高2:2.0 高3:3.0 大人:1.5)
そのような状況で迎えたクラブ13年目のこの1年について振り返ってみる。
(参加者については、この2年間に高校を卒業した者のみ記載)
4月2日 7人(地元5人、元寮生2人)
・・・1年前に卒業したMくんたちが1年ぶりに突然やって来た。
4月16日~5月21日(木曜6回) 非常事態宣言下にて体育館使えず
6月11日 6人(地元)
6月18日 6人(地元)
・・・地元で就職した者たちと、コロナ渦におけるリモート授業で実家にいる者たち
6月25日 2人(地元)
7月2日 2人(地元)
・・・地元就職者と帰省中の学生
7月30日 4人(地元)
・・・地元就職者と帰省中の学生
8月6日~9月10日(木曜6回) 体育館の改修工事にて体育館使えず
・・・予定の工事だけど、よりによってこんな年に行うことにならなくてもよいのに。
9月24日 8人(地元6人、元寮生2人)
・・・1年前に卒業したMくんたち。今回は突然ではなく事前に打診あり。
1月7日~2月25日(木曜8回) 誰も来ない
・・・
3月4日 11人(地元7人、元寮生4人)
・・・
13年目にして、いろいろな面でかってないクラブの1年ではあった。
コロナ渦、工事、誰も来ない日々、と、こんなことが続いたこともなかったのだけど、高校を卒業した者たちがこんなにクラブにやって来るということもなかった。
小学校低学年のころから小学校を卒業するまで、同級生たち10数人でクラブに来ていた子供たち(【1回あたりの平均参加者数】2014)が、この春、高校を卒業するとうことも、自分にとってはある節目を思う。
そして、私は来月には還暦を迎える。
文章がまとまらない。いや、もうまとめない。
3月4日、当日にやって来たのは、元寮生4人と地元の7人。
(1級下のIくんは、1年生のときからいつも上級生のなかで1人混じってバレーボールをしていた)
彼らは5時半から8時半までの3時間、昔のようにバレーボールを続けたので、私もその間ずっと昔のように1人でバスケットボールの練習を続けた。